しあわせ街道 膝栗毛

心豊かに穏やかに。不器用なアラサーによる、ひとり楽しい生き方の模索録。

一人観光をして気付いた「自分を幸せにする方法」

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先月行った、宮島。

一人観光をする中で、「ああ幸せだな」と思った。

 

そこで気付いたのは、「幸せ」という物や何かは存在しないこと。

また、「良し悪し」に焦点合わせず、「好き嫌い」の「自分軸」で判断することが必要なのだと感じた。

 

この記事では、自分を幸せにする方法について、上記の文を深堀りする。

 

物事に良し悪しはない

そう思っているのは、全部自分。

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「明るいのが良くて、暗いのは悪い」

このような潜在的イメージを抱いていた昔の私。

 

他には、

「友達が多い方が良くて、いないと悪い」

「早い方が良くて、遅いのは悪いこと」

などなど…

 

「良い」「悪い」と思うも、その人の主観であるから、思考感情の中には存在する。

その所為で迷惑をかけたりなども、もしかしたらあるかもしれない。

だから、人によって「好き・嫌い」はある。

 

けれど、そのもの自体の「良し・悪し」は存在しない。

それを「良し・悪し」と判断しているのは、その人自身。

 

陰陽 共にあるからこその、自分の中の気付き

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先日の一人宮島観光で、山に登って、自然を感じて、生の美しさに元気をもらった。

木陰と木漏れ日が魅力的に感じたのも、陰と陽のコントラストがあったからこそ。

 

あるがまま。

陽ばかりを見ず、陰陽共に気付く。

 

それを「自分がどう味わうか」 が幸せに左右すると感じた。

 

幸せも「ある」訳ではない

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この日は晴れたお陰で、より山登りが楽しく感じられた。木漏れ日が楽しめた。

何事もなく、無事家に着いた。

それが、すごく幸せに感じた。

 

物事に良い悪いはないけれど、自分にとっての好き嫌いはある。

私は、「これは私のとっての幸せだ」と思った。

 

 

幸せは、幸せと名前が書かれた物がプカプカと空を浮かんでいる訳ではない。

だから、目で「見つけた!」「へー、これが幸せか!」とはならない。

 

心穏やかで、良いなぁと思い、楽しくて、ワクワクして、夢中になった。

これに、私は「幸せ」と感じて名前をつけただけの話。

 

もちろん、同じことをしても、幸せだと思わない人もいるだろう。

例えば、昔の私。

 

快晴なだけで幸せとか、なんか当たり前すぎるし、幸せのレベルを下げているみたいだし…

 

幸せって言うのなら、運命的な出会いとか、閃く直感とか、急に降ってくるかもしれないものだろう。

"幸せっぽい何か"に期待しては何事もなくて、「あー自分、幸せじゃないな」と思っていた。

ロマンスの神様とか、誰か、何かに、期待・依存していたのだろう。

 

私が幸せを感じる為の方法

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幸せな雰囲気を思い描き、イラストにした。

そんな昔と、快晴なだけで幸せ感じる今と…

何が違うんだろう?

 

恐らく、「今」「そのもの」を「自分目線で」楽しむことができているからだと思う。

 

幸せのレベルが下がったんじゃなくて、間口が広く、そして深くなった

それを感じる自分自身も、敏感になった。

 

常に「今」生きる

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遠い未来の何かに期待しない。

常に今。

今の自分を、自分で幸せにできるかどうか。

 

「今の自分は、何を感じているか」

「今の自分は、何に幸せを感じているか」

に焦点を当てる。

 

今、本当に望むことは何か

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何をするかのプラン内容の優劣ではなく…

誰かが言ったからではなく…

良い悪いの判断ではなく…

 

自分が今望んでいることは何か。

それを楽しいと思うかどうか。

満足するかどうか。

 

自分の目線で楽しむ

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自分目線ではなく、他の人を意識していたら、同じことをしても楽しくない。

 

自分は自分でしか生きられない。

今のこの能力、体力、魂、含めた肉体で生きるしかない。

 

上を見ればキリがない。

「足るを知る」「そのものを楽しむ」。 

 

最後に

以上、一人観光をして気付いた、「自分を幸せにする方法」でした。

 

「もう少し刺激があってもいいかも?」

今日も、健康で過ごせて幸せ、したいことができて幸せだ。

 

そんな私も、会社と家の往復の毎日。

時には、

「もうちょっと代わり映えある毎日でもいいかなー」

「何かときめきが欲しい」

と思うこともある。

今ちゃんと幸せだけど、どこかぬるま湯に感じてしまうというか。

 

その声、大事。

一見、ネガティブな声。

でも、それ自体に「良い悪い」は無い。

 

ネガティブな声が出ている今の自分の内なる声に耳を傾ける。

 

「あ、もう少し日常に変化を加えても良いんだな」

とわかるし、

「じゃあちょっと部屋を整えてみよう」

「植物を置いてみようか。歩く時にお店を探してみよう」

「プリン食べたい。これなら作れそう」

など具体的に湧いてくる欲求に、素直に従えるようになる。

 

ずーーーっと付き合わなくてはならない自分。

面倒くさがって蔑ろにせず、自分は自分でしか幸せにできないのだから、どうか、幸せにしてください。 

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▼そういえば以前、似たようなことを漫画にしていた。

「人と比べない幸せ」について

www.yurubotoke.com

▼「幸せって身近にあるものなのかもしれない」

www.yurubotoke.com

 

こちら、私なりに幸せを追求するブログなのだけれど、毎度姿形を変えて、同じようなことを言っているかもしれない。

その時その時で悩みは違って、でもその度にたどり着いて出した答えは、結局同じようなところなんだなぁと、今振り返って思った。

 

ではまた。