しあわせ街道 膝栗毛

心豊かで穏やかに。アラサーの人生模索忘備録。

ブログの紹介

ひとり」の幸せを応援するブログ。

自分で自分を満たすために。

アラサーの筆者が、”幸せ道”を模索する様を発信していきます。 

この場合の「ひとり」とは

独身や孤独のひとりではなく、自他の「自」であり、「自分」「己」「わたし」を指します。

例えば…

家と会社を往復する毎日、「趣味がない」と寂しさを覚えることがある

「何か楽しいことないかな」
「自分には何があるんだろう?」
という物足りなさ・満たされなさ・虚無感を覚えることがある

「自分は今の生活を送ることを本当に望んでいるだろうか?」
「このままでいいのかな?」
と問うことがある

これは、独身でも既婚者でも、どういう状況であっても自分の中の問題として起こりうることだと思います。

そんな中で、自分の人生を歩んでいる個としての自分を、ひとりと考えます

 

私が思う幸せとは

 私が今現在考える幸せとは、自分で自分を苦しめず、目の前にある物事や自分に満足して、心穏やかに生きることです。

以下、自分の経験談です。

コップの中の水が足りない!満たされたい!もっと欲しい!まだまだ入る!
もっと器を大きくすれば、立派に見えるかもしれない!
恋人ができたなら、結婚したなら、家族ができたなら、転職したなら、きっと人生が変わる!
コップの空いた部分にたくさんの水が入るに違いない!

 

「すごくなりたい!すごい自分を見てほしい!」「自分を幸せに変えてくれる鍵は環境・状況に違いない!」と思っていました。

 

色々なことにチャレンジして、色々なことに精通して、他の人とは一味違う私になりたかった。
満たされたかったし、幅の広い人になりたかった。そして、そう思われたかった。

 

けれど、どんな大きく立派な器を用意しても、それを持つのは等身大の自分。

 

もし仮に、今ある器より大きい器を用意しても、もっと大きい器・立派に見える器が欲しくなる。
そしてこの欲は、絶対繰り返す。

「見栄えのする器あっての自分」「器こそがステータス」だと、逆に自信が無くなるのでは?

更には、器には自信があるけど、水量が割りに合わないこともある。それは虚しくない?

「すごくなりたい!」と思っていたけれど、私はどこまですごくなれば満足するのだろう?

 

もしすごくなったところで、自分が自分に満足していなければ、終わりない欲と戦い続けることになる。それってしんどくない?

 

このような考えに至った時、

いくら必死に努力を重ねても、例えコップからバスタブサイズにまで器を大きくしたとしても、クジラからしたら、どちらも大差ないのだろうなぁ。


人に認められたくても、人は私に対し、どのくらいの水量を求めるかもわからない。


上には上がいる。私は自分の体でしか生きられない。他人基準で考えるのはやめよう。

と考えを改めるようになりました。

 

自分は自分で満たす

水がなければ、誰か、何か、に期待したり頼るのではなく、自分で調達するか、器を己にあったものに変えるか。

その選択の連続が、結果として幸せに繋がるのではないか、と考えています。

 

だから今、私は自分で自分を満たすことを模索しています

 

 

モットー

等身大の私の状態記録として。

日常や、その中で思うこと、あれこれ悩み考える姿を共有できたらと思っています。

読んでくださった方にとって、
生きやすくなるひとつのヒントになったり…
個人の幸せに…
どこか繋がるブログになればいいなと思っています。

  

ブログの名前の由来

「しあわせ街道 膝栗毛」

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膝栗毛とは:徒歩で旅行すること。自分の膝を馬の代わりに使う徒歩旅行の意である。(Wikipediaより)

"幸せへの道は、自分の足で歩いて探していくものであり、正解も近道も乗り物もないのかも?"、と思い、採用。