30歳になった今、アラサーという言葉を何となく使えないでいる。
私が「アラサー」と言えていたのは、まだ20代だし、という余裕があったからだったのだと気付く。
年齢を重ねる毎に、自分の事、思考、わかることが増えた。
ちゃんと自分の事が好き、と言える今。
年々生きやすさを感じる。
年を重ねるのが楽しい。
選択の積み重ねがその人となる。
年齢重ねる毎にそれが人間が表れる。
よって、魅力ある人は益々深みが増すのだと、ようやく気付いたところである。
経験を積み、魂を磨き、心身共に良循環で、ちゃんとお役に立てるような人間になりたい。
いい年の重ね方をしたいと思っているこの頃だ。
だが。
時折、所謂"年頃の独女"であるという部分が顔を出す。
世間様と一緒になって焦らせたり、ナイーブにさせたりと、気持ちの上下がしんどくなるのだ。
結婚を望むなら、必要とあらば、その時は来る。
全ては縁とタイミング。
自分がすべきことをして、自分が一番自分らしさを発揮できている時にこそのものだから、大丈夫。
…と私は本気で信じている。
しかし、日々変わりない日常と、自分を発揮しない自分と、戻ることができない年齢的焦りに、不安とモヤモヤを常に抱えているこの頃だ。
何より一番問題なのは…
この頃、趣味にも没頭できず、日々なんだか中途半端な生き方をしていること。
時間も無限にあると思って、ボケーっとしてしまう。
それを望んでしているのならいいのだけど、"なんとなく"しているのだ。
それがまたしんどくて。
こんな筈じゃない。
もっとメリハリのある人生を送りたいのに、と。
人には、思考の本音と、行動の本音の二種類あるのだそうだ。
思考では、こうしたいこうすべき!と思っているのに、行動ではダラダラすることをしている、などがそうだ。
どちらも本音なのに、私の場合は、行動の本音を否定してしまう。
全肯定でも全否定でもない、行動の本音をじわじわと常に否定している状態。
基本ぐうたらタイプなのに、何故か理想ばかり高い。
それが四六時中、年中無休。
この概念を知り、ああそれはしんどいよね、と客観的に自分を知ることができた。
今、自分が停滞期だなぁと感じる。
探しても、縁が無い時は見つからないもの。
割り切りつつ… チェックリストを作り、1つ1つこなしていく。
いやいや、そもそもチェックリストに記入すること、なんなら紙とペンを持ってくることすら面倒なのだけども。
それでも、今、この瞬間の選択肢は、二択。
「今を続ける」か「今行動を変えて、満足する時間を過ごす」か。
選択するのは、今までも、今も、これからも、自分だ。
停滞期、今は今できるお役目を果たそう。