きぬやです。
「新卒でなんとなく今の会社に入ったけど、本当に自分がしたかった仕事ってこれで合ってるのかな…」
「でも、具体的にどんな仕事をしたいか、とかは考えていない。
ただ、この仕事じゃないことは確かなんだよなぁ」とか。
- 「現状に満足がいっていない」
- 「今のままが嫌だとは思っているけど」
でも
- 具体的に何をしたいのかわからないから、行動に移せない。
- "自分ってたぶん、ああいうことがしたいんだと思う"、とかは浮かぶんだけど、本当にしたい事なのかどうかわからない。だって、本当にしたい事ならもっと熱量があるはずだし、行動に起こしているはずだもん。
- なんとなく浮かぶ夢らしきものに対して繋がりそうな、それっぽい事をしてみようとするんだけど続かないし、なんかダラダラしてしまって、ただ日ばかりが過ぎていく。
とか。
「自分って今のままでいいんだろうか?」と悩んだり、心配になったりすることはありませんか?
そういう時って、「自分は本当は何がしたいんだろう?」と考え込んだりしませんか?
私自身、今も模索中です。
そして、これからもずっと、ループにハマる話題なんだろうなと思っています。
だけど、大学卒業してなんとなく企業に就職して、このループにハマって5年、ずーーーっとモヤモヤし続けていました。
でも、最近ちょっとだけ自分の考え方や行動を変えてみたんです。
結果!
やっと「こうしたらちょっとだけそのループから抜け出せる気がする!」という自分なりの脱却方法を見つけ、動けるようになりました。
今後自分がこのループに陥った時用の忘備録に。
そして、もし今同じような事で悩んでらっしゃる方がいれば、少しでもお役に立てたらと思って記します。
自分向けなので、どうかあくまで参考程度にどうぞ。
何かしたい!でも具体的に何をしたいのかわからない時の処方箋
◆ 症状:C ◆
「でもでも期」
今のままは嫌なので、何かしらに手をつけようと、例えば本を読んだり、ノートを纏めたり、運動したりする図。
不安を紛らわそうとするのに、手に付かない。
少しはできても、続かない。
一方、なんとなーくふわふわーっと「こうできたらいいなー」とか「自分ってああいう系統のことがしたいんじゃない?」とか浮かぶ。
とはいえ具体的に"何か"が浮かんでいる訳ではないので、動けない。
いわば、理想の自分が独り歩きしている感じで、理想の自分がもう既によくわからない方法でキラキラした場所へ行ってしまっている感じ。
もし自分が新しい仕事か何かで成功した暁には、日経ウーマ●に出てくるような、仕事は好調、交友関係も広がってて、帰宅後健康に気を遣ったオーガニックご飯をいただいて、寝る前にヨガとマッサージ時間確保☆みたい生活を送ってるんだろうな〜…とか。
自分に求める理想が高すぎるのか?
でも、だからこそちゃんと行動した方がいいんだろうなーとは思う。
それゆえに「ああ自分ってなんでこんなに意志が弱いんだろう?」と自己肯定感が低くなる。
ますます焦るわりに、動けなくなる。
そんな時期。
症状:C
→ ◆ 症状:B ◆
夢がはっきりしないから掴めないのか、
何かを掴もうとしないから夢が決まらないのか。
鶏が先か 卵が先か
「空想追いかけ期」
前回(症状C)からちょっと前進。
「 よっしゃ、行動を起こすか!」と立ってはみたものの、途方にくれる図。
相変わらず、"なんとなくの理想"は なんとなくのままだし。
追いかけようにも「本当にこれは自分のしたいことなんだろうか?」と考えてしまい、その理想に手が届いて欲しいような、届かずにいて欲しいような。
そうこうしている間に"なんとなくの理想"は大きさや形を変えて、あっちへふわふわ、こっちへふわふわ。
ただ、高さは高いまま、手が届かない。
理想の中の自分はキラキラ輝いている、そこに向かおうとするけれど、そこは"理想の自分が輝いている世界"であり、"今現在可能な限りの実際の自分が本領発揮して楽しんでいる世界"ではないような気がするというか。
理想と現実の乖離。
(例えば、"自分は鈍臭い方だから人に迷惑をかけている"、それがコンプレックスならば、理想の自分は"テキパキ仕事をこなして常に笑顔で楽しそう"とか。
例えば、実際は"小さな田舎企業で狭い人間関係、毎日同じ仕事をして家と会社の往復でつまらない"、だから、理想の自分は"都会のデザイン系の有名企業に勤めて、色々な人に頼りにされてきちんと仕事をこなして、プライベートも充実した人生を送りたい"とか。
今現在の自分を自分が嫌だと思って認めていない上に、自分とはかけ離れた部分を理想とし蓋をして重荷にしている感じ。
それはそれで一種の目標となるかもしれないけれど、今の自分を否定しているのに、これから先に自分の本領を発揮できる訳なんてないし、だからこそそんな未来は楽しくない・幸せではないだろうなぁと今の自分は頭のどこかではちょっとだけ思っているはずなのに、現状が嫌だから、どうにかしないといけないとそちらばかり強く思ってしまう。)
したいことがはっきりとしていれば、ふわふわな理想雲はきちんとした形になるだろうし、それこそ掴む取っ手のようなものも付いているのかもしれない。
でも実際は、ふわふわ理想雲はふわふわのまま、取っ手はなく、掴める高さにもない。
そしてあっちこっち色々なところに散らばっているから、どこに手を伸ばせば・どこから手をつけたら将来成功するのかわからなくて途方にくれる。
そんな時期。
症状:B
→ ◆ 症状:A ◆ へ!【解決策】
じゃあ、まぁとりあえず!
とりあえず一旦、今現在の私が行動に移せる事をしていくのはどう?の図。
今までは上ばかり見て、ああでもないこうでもないと色々考えていた。
でも、考えるばかりで行動できなかった。そこで。
具体的な夢はわからないままでもいいけど、求めているものが上にあるんだな、という根っこの部分がわかっているなら!
まず、自分の足元を見てみること。
すると、今の自分にできそうなことが落っこちていたりするので、それを積み重ねていくことが道となる。
そんなこと偉そうに言われても、まぁそりゃそうだろうね〜!
…とわかってはいても、人って打算的な部分もあるから、未来に直結しそう・役立ちそうと想像がつくことじゃないと頑張れないものなんですね。
【上に行くために下で土台作りをすること】というのは、下を向いて一つ一つの石を吟味して、時には失敗しながら経験し、見極めながらたくさん集めていかないといけない。
でもそれは、"上に行きたい・目指すのは上"なのに、実際は"下"を見て探していかないといけないこと。
だから「今の自分にできそうなこと」は、「今の私が望むことではない」かもしれない。
【やりたいこととできることは必ずしも一致しない。】と聞くと将来に対して虚しさを覚えるかもしれない。
でも、「理想の生活が送れない自分は、なんてダメな人間なんだ」
と未来に勝手に期待しておいて、それに応えられなかった自分を否定し続けるより、
「今できることはやっている、だから日々達成感もある。じゃあまぁ将来理想通りにならなくても、それはご縁がなかったってことでしょうがないよね」
という考えの方が、一種の諦めがつくし、何より自分を否定しなくていいので、楽に生きれると思います。
理想が現実になるなら、それはきっと素敵なことだとは思うけれど、もし理想とは違う人生になったとしても、日々 今の自分ができることを達成して、日々を充実させた方が、人生満足度が高くなると思いませんか。
まとめ
Q 何かしたい!でも具体的に何をしたいのかわからない時はどうしたらいい?
A "具体的な何か・それが将来に繋がるか否か"を考えず、今できることをやってみては。
初めは「上に早く行きたい!」と上ばかり気にしていたのに、いざ下を向いて石を探し始めると、石を探して、真剣に向き合うようになって、石集めに必死になって、色々なところへ探しに出かけたり、石の種類なんかも気になったりして、楽しくなって…
そうこうしているうちに、あっという間に上に簡単に上がれるくらい、石が集まっているもので。
むかし色々思い描いていた、なんとなくの理想ふわふわ雲より、もっと高い位置にあって、且つちゃんとしっかりした何かがどこかへと繋がっているもの。
むかしだったら全く想像もしなかったルートかもしれない。
でも今なら、ちゃんと自分の手が届くはず。
自分で切り開いたルートは、自信を持って進めばいい。
自分の手が届くもの・身の丈に合うものこそ、自分が自分でおれるもの。
自分が自分に満足できることって、実はすごく幸せなことなのでしょうね。
きぬや