しあわせ街道 膝栗毛

心豊かで穏やかに。アラサーの人生模索忘備録。

【続・ないものねだり】幸せのレベルを下げるのではなく、自分のセンサーを敏感にする

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以前の記事で描いた、ないものねだり漫画。

www.yurubotoke.com

こちらの補足、及び続編。

結局は、ないものねだり。

 

結局は ないものねだりで、どちらもを取ることはできなくて。

 

星空を望むんだったら、周りが暗くないと見れないし、

逆に、夜景を望むなら、星空は諦めないといけない。

 

ないものねだりをしていた私の過去

今までは、地元が好きではなかった。

 

生まれた場所がここだからって、なんでここに住まないといけないんだろう?

地方じゃライブやコンサートやイベントもなかなかやらないし、

流行りもタイムラグがあるし、何もないから、田舎嫌。

都会っていいなぁ。と、思っていた。

 

そして、就職活動も、なんとなくで行動していた私。

都会に行きたい訳でもない、でも地元が好きな訳でもない。

 

でも、何年も過ごしてみて、

土地や自然環境が嫌いな訳ではないということに気がついた。

それも、つい最近。

なぜなら、「住んでいる土地の自然が好き」などと考える発想がまず無かったから。

 

無意識だったけど、やっと気付いたこと

「好き」に気付く

今暮らしている土地が好き。

暮らしやすいし、自然もそこそこあって癒されている。

夜は、星も悪くない程度に楽しめる。

だから、今の場所で暮らすのも悪くない。

 

このように私は、自分の"好き"に気づいて、

「なんだ、満たされていたんだな」と認識したからこそ、満足して生きれている。

 

「自分に合う」を大切に

もっと暮らしやすい場所や、もっと星が綺麗な場所は、

きっと他にもあるだろうけれど、

でも少なくとも、この土地は間違いなく自分に合っていると断言できる。

これはもう、動物の勘に近いものだと思う。

 

そして、いいもの、いいところは、キリがない。

上には上がある。

でも、それらが自分に合うかどうかはわからない。

経験でこそ知りうること。

 

しかし、ものこと全てを経験できる訳ではない。

だからこそ、ひとつ一つの経験をじっくり味わうこと、その為には、

自分の感性や心で思ったことに敏感になる必要があるだろう。

 

 

満たされていることに気付く

この度は、土地についての例えを書いたけれど、

これは何に対しても言えることだと思う。

 

例えば、多くは自分のこと。

他人のいいところは気付くのに、自分のいいところはわからない。

だから余計に自分が劣っているように感じてしまう。

 

例えば、近頃、友達や恋人とうまくいっていない。

いい関係の時は悩まなかったのに、今はしんどい。

 

そんな時でも、いつでも、自然はただそこにあって、

いつでも太陽や月は自分を照らし、風は心地よく吹く。

 

そんなん当たり前じゃん!と思うか、

自分が幸せな時も、落ち込んでいる時も、平等にそこにあったんだ、満たされていたんだ、と思うか。

 

幸せを感じるセンサーを敏感に

きっと我々は多くを求め過ぎているのだと思う。

 

お金持ちのあの人は、結婚生活もうまくいっていて、順風満帆のようで羨ましい…

そんな幸せ、私も望んだっていいじゃない!

 

と、思った過去がまぁ一瞬はあるけれど、

実際にそれを「自分にも同様に!」と求めるのは、高いところで行う綱渡りのような感覚かもしれない。

 

綱渡りを望む前に、まずは地面に足をつけて、自分なりにゆっくり歩くことを楽しむ

 

幸せのレベルを下げる…というと、楽しくなさそうだし、

なんだか無理をしているようだけれど、決してそうではなくて。

 

レベルを下げるのではなく、「自分の幸せセンサーを敏感にする」感覚だと思う。

 

「地面歩く生き方嫌だー!」と思って人を見上げ憧れ続ける人生と、

カメラを持ったりピクニックしたりしながら、今の地面歩きを楽しむ人生

 

どっちも環境は同じ。

どちらが自分にとって幸せか。楽しそうか。

置かれた場所で咲くって、こういうことなのではないかと自分なりに解釈している。

 

もしその後、満足しなくなったら、綱渡りをしてみてもいいかもしれない。

 

まとめ

ないものねだり。隣の青い芝生。

もちろん、ないものねだりをする思考自体が悪いものだとは思わない。

どんな人だって経験するだろうし、ひょっとすると犬や猫などの動物だってあるのかもしれない。

 

ただ、そこに自己卑下や、自己肯定感の低下が生じたり、

もしくは、ただ他人を羨んで、妬んだり憎んで、自分の人生を送らなかったり…

 

その場合は、その後例えどんな素敵な状況が転がり込んだとしても、

きっと自分は幸せだと思うことはなくなるだろう。

 

 

幸せは、他人軸ではない。

自分が感じるものだし、幸せかどうかは自分で決めるもの。

 

自分のセンサーを敏感にして、自分なりに楽しい過ごし方をしていきたいものだ。