寒い冬が終わりに近づき、暖かくなってきた。
冬の間…
私はといえば、暖房付けては寝て…夕食後、布団に入っては寝落ちして…を繰り返してきていた。
最近、何をするにも珍しく自分の集中力が高まるなぁと思っていたのだけど、今思えば恐らく、春近くなり、寒さから解放されたからかもしれない。
そんな春の夜。
やってみたかったことにチャレンジした
ちゃんと起き上がり、机で作業する時間が増えたので、やってみたかった事を遂に実行。
それは、キャンドルを灯すこと。
今までチャレンジしなかった理由は…
自室で火を使うことに苦手意識を持っていたのと、キャンドルに対する熱量がそこまでなかったから。
写真や動画で、人が火を灯す様子を見て、素敵だなぁと思いこそすれど、キャンドルは照明の一つ、くらいにしか思っていなかった。
小さな幸せで自分を満たす
最近、幸せの価値観が私なりに固まってきた。
「1を切り捨てて、100の幸せを探す」より、
「1の幸せをちょこちょこ探して何個も楽しむ」方が、幸せ度は高まることに気付いた。
これこそ自分を満たす方法。
そもそも100の幸せは、なかなか見つからない。
自分の幸せ探知センサーが鈍っている状態の中、闇雲に探さないといけない。
「ああこれは20幸せ程度だろうな…じゃあ今回はいいや」って、切り捨ててしまいがち。
"多くを良し"とすると、それ以外は"つまらない"になる。
視野や選択の幅を狭くしているのは自分、ということにもなる。
「20幸せ程度だろう」といった、自分の頭で考えたスカウター的幸せ数値は、はたして本当に20程度だろうか?
意外と自分に合っていたり、新たな道が開ける可能性もある。
逆の場合もしかり。
いずれにせよ、それも経験となって自分を知れる事は、これまた幸せな事。
1は案外、身近にある。
それこそ、コンビニでちょっとしたお菓子を買うとか、一緒にコーヒーを淹れるとかでもいい。
1幸せをすることで、次のやりたい事が見つかることもある。
何でも物事は繋がっているから。
「今度はここのお店でお菓子を買ってみよう」と、お店の選択肢が増えたり…
「コーヒーを豆から挽いてみようかな」と、コーヒーに対する深い興味に繋がったり…
「コーヒーカップのお気に入りを探してみよう」と、陶器や磁器に関心を持ったり…
興味の幅が増えると、間違いなく、今までの自分より楽しく生きていくことが出来る。
チャレンジする前のうだうだ悩みは、あまり意味がない
ということで、自分のキャンドルの話に戻すと、、
キャンドルを買う前から、キャンドルホルダーを探していた。
その世界を知る前から、ハマりそうだからと道具を揃えてしまうやり方。
私、これ結構やりがち。
キャンドル初心者のくせに、どうせ買うなら気に入るものを、と思って、究極の理想のキャンドルホルダーを探していたのだが、見つからない。
結局、シンプルなキャンドルホルダーとセットのキャンドルを購入。
買う前からあーだこーだ悩むけど、実際買ってみたら、案外そこまで気にしないもので…
むしろ、蝋が溶けるとキャンドルホルダー内に付く、高頻度でその手入れが必須だ、という事を知らなかったというか、頭から全く抜け落ちていた。(無知)
ああ、だからカップ入りのキャンドルが売っているのね、と、学んだ。
こういうやつ。
とにかく、最初から素人考えの完璧を求め過ぎても、身動き取れなくなるもの。
当たり前かもしれないけど、なんでも進むのは一歩ずつなんだなと、改めて気付かされた出来事だった。