人間関係においては、特に一喜一憂することが多い。
この度は、「喜」ではなく「憂」の話。
人間関係で気分が落ち込むとき
少しでも残念な事があると、気にしてしまって、一人になった時に落ち込む。
今日は人間関係うまくいかなかった とか。
あの人から避けられている気がする、何かしてしまったのだろうか とか。
色々な人に迷惑をかけてしまった とか。
「みんなに好かれなくていい、それは不可能だ。
自分を必要としてくれる人を大切にしよう。」
と思っていても、そういう人たちの期待に応えられなかった とか。
そして改めて思い知る、自分の不甲斐なさ、情けなさ…
「あの時こうしていれば…」
過去の行動を省みて、自分を責めて、自分すら自分の味方でなくなる状況。
いわゆる些細なことで、よくあることだけれど、これが結構へこむ。
落ち込んだ時に、考えたこと
人間関係は、色々な人や状況との相互作用もあるから、自分の力の及ばないところも多い。
「自分の機嫌は、自分でとる」
起こってしまったことは仕方がない、
自分が悪いと思った場合は、反省はきちんとしつつ、
関わってくれた人に お詫びや感謝はきちんと申し上げ、
アフターフォローでどうにかできるなら、そちらに尽力する。
以後気をつける必要があるなら、文字にするなり記録をつけ、今後意識するようにする。
萎縮しすぎず、引き摺らず、うまく切り替えて、
メンタルを自分がベストを尽くせる状態へ持っていくことが大切なのかなと思っています。
要するに、自分の機嫌を自分でとるプロになることが、生きやすくなる方法ということ。
それ以上の相手の機嫌は、相手がどうにかすることなので、自分がどうこうしたり下手に機嫌を伺ったり気にすることではない。
…と、頭では理解していても、実際、その場に直面したらなかなか割り切れれないんだよなぁ。
私は修行が足りないのかもしれません。
月。
特に大きい月明るい月などはスーパームーンなどと呼ばれたり、何かと注目される満月。
月は、地上では天候と満ち欠けの関係で、タイミングによっては見えない時も多いけれど
宇宙では、ただそこにあり、地球の周りを公転している。
「今日は満月じゃないなー」などと地上で思われようとも、雲の上の月には関係無かったりする。
人間もそういうものだったりして…
我が事となると 客観的に見れず、嫌なことがあった・気分が落ち込んだなどと
”欠け”を気にして、0か100かで判断してしまうものだけれど。
満ち欠けを繰り返す、それが生きることなので、
満月でないといけない、と思わないこと。
最後に、個人的お気に入りエモーショナル・ムーン・トーク。
満月も空を見上げた時に「お!」となって好きだけれど、三日月でも嬉しいし、
これは新月から何日目だ?という月でも、仕事終わりの夕暮れ時、明るい空のビルの谷間から登る月には、一瞬全てを忘れさせる美しさがあると思っている。
風が強い日の、厚い雲に覆われつつ流れが早い時、薄い雲になった瞬間の雲越しに煌々と光って見える月も好きです。
月が出ているとそれだけで幸せな気持ちになるし、
上記のように月に喩えて考え事をしたけれど、
逆に、新月の時を把握したことはなかった。
見えるものに喜びを感じ、見えないものは蔑ろにしてしまうものなんだなぁと我ながら反省。