イントロ
前回の記事
の続編を書いていたら、話が脱線に脱線して、当記事が先にまとまった。
今回は、自分を変えることについて、ちょっと思ったことを書いてみた。
「他人は変えられない。自分が変わる。」とは
「他人は変えられない。自分が変わる。」
割と大人になるまで意味がわからなかった。
「自分が働きかけたら、相手は変わるものじゃん」と。
でも、歳を重ねるごとに、「他人は他人」ということがわかってくるもので。
他人が変わるかどうかは他人のことだから、自分がどうこうできるものではない。
よくある表現だと
「馬を水飲み場に連れていくことはできても、水を飲むかどうかは馬次第」
というのが近いだろうか。
「自分が変わる」のは、ポジティブ?ネガティブ?
じゃあ、「自分が変わる」とは?
相手の望むように自分が変わるってこと?
相手がしてくれないなら、自分がやらないと仕方ない、ってこと?
我慢するってこと?
諦めるってこと?
大人な対応をするってこと?
見返してやりたい!(ある意味、相手の望む自分)
そうだとしたら、変わるって辛い事だな。
自分ばかり損しているみたい。
そう思うと、これからの行動はネガティブ思考によるものだから、変化もネガティブになるだろう。
ネガティブな変化は充実感が薄い
変化のきっかけがイライラ、モヤモヤだから、これからその行動をする度に、イライラとかモヤモヤ、相手の顔や態度を思い出す。
そうすると、自分の頭の容量がそれらで容量喰ってしまって、取り組んでいるものそのもの・行動自体に100%集中できなかったり楽しめない。
私たちは、これからの行動だけ変えられる
今ある相手との関係が残念だったり最悪なら、怒り、悲しみ、辛いとか苦しいとか、きっと色々な複雑な感情が生じることだろう。
それでも、この関係であることは、もう、しょうがない。
それが今の現実。
それらの感情を抱いている自分のことは、ちゃんと自分が認めてあげる。
その上で、これから可能なのは、これからの行動選択のみ。
「相手のせいで自分が変わらなきゃいけない!」
と思うなら、ネガティブ行動で、相手のことを考えて生きることになる。
「自分は相手の行動に対してこう思った。
じゃあ自分はこれからこうしていこう。こういう自分でいよう。」
と思うと、自分のことを考えて生きることになる。
すなわち、自分への変化を自分が望んでいることなので、きっかけは消極的ながらも、これはポジティブな選択ではなかろうか。
変化は、行動は、自分で選択できる。
自分の選んだ道を進めるのだ。
ポジティブなものにするも、ネガティブなものにするも、自分次第だということ。
自分が心穏やかな姿が思い描ける自己変化を
"思い描ける"と少し未来的表現をしてしまったけれど…
幸せは、未来ではなく、今にしかない。
未来が絶対幸せだなんて、そんな保証はない。
アラサーの若造が思うに、今幸せな選択をしないのに、未来が幸せなはずがない。
心の望むことも聞いてあげる
個人的に、「ずっと出来ていたなら良かったな」と思ったのは、頭だけで考えないこと。
頭で考えたことと、心が感じたこと、体で感じたことに、それぞれちゃんと耳を傾けること。
特に、頭と心が思っていることは違うから…。
全部ひっくるめて自分なのは間違いないのだけど。
「心で感じたことだ!」と思っても、もしそれが執着だったら、寂しい心に蓋をした、頭で考えたことになる気がする。
頭が考えた事を実行するときと、心が感じた事を実行するときとでは、後悔具合に差が出るなぁと思うこの頃。
心が感じたことを選んで失敗しても、「まぁしょうがないか。」と思えるのだけど、
頭で考えたことを選んで失敗した時は、「ほらー!だから言ったじゃん!!」と自分からしつこいクレームが入る。
ということで…
あなたの選択が、ますます自分を輝かすものとなりますように。
では、またお目にかかれますよう。