音も味覚も音痴な私。
音楽でいえば、私が好きになる音楽はロックバンド系だが、ロックを語る程知識を持ち合わせていない。
音楽は好き。この曲が好き。その好きという感情程度に留めておきたいのだ。
今でこそそういう自分の不向きを自覚しているが、それを認める前は、生き辛かった。
"こうあるべき"な理想の自分が、"でもなれない"現実の自分より遥か高いところにおり、見下してくるのだ。
これでは現実の自分を受け入れられないのも当然だ。
この記事では、「にわかでもいい!好きであることに知識や理由はなくてもいい!」と思えるようになった私が、この考えに至るまでを綴る。
オタク界に足を突っ込むと陥りがちな考え方な気がするので、苦しんでいる人の参考になれば嬉しい。
ファンとしての理想「好きならかくあるべし!」に縛られていた
お恥ずかしながら、20歳代前半は、好きな曲やバンド・ロックについて通っぽかったらかっこいいだろうなぁと思っていた。
加えて、
「誰しも好きなものについては熱く語れるもの」
("コミュ障で話をするのが苦手な人でも、好きな物については話せるものでしょ?だから大丈夫だよ!"というニュアンスも含む)
という世間の前提に縛られていた。
「なぜ好きなの?どういうところが?どういう思いで作られた曲なの?そのグループは何?どういうジャンルに分類されているの?メンバーは?時代背景は?ギターの種類は?リズムは何拍子?」
…え、私ったら、好きなのに、何も語れない。
好きなのに、わからない。
これでは好きとはいえない。好きであるからには、語れなければ!
CD購入後、wikiや人のブログを読んで、ノートにまとめて、覚えようとする努力をした。
しかし、私は音を聴き分ける力がないのか…
ギターの歪み音など楽器的な音の違い事がわからない。
この人ならではの曲調・リズム感などもわからない。
昔の曲が良かったなどの人のコメントを見ても、その違いがわからない。
人に対しての興味が薄いからか…
バンド同士の時代の人間関係図(このバンドに影響を受けた等)や、この人はバンドを掛け持ちしているといった情報、また、ここで誰が辞めて誰が入ったかなどが覚えられない。
そもそも特に洋楽だと人の名前が覚えられない…
好きなものについて熱く語れる人の中には、語れる自分を誇示しようと過激に走る人もいる。
マウントを取りたがる人もいる。
「ファンなら知ってて当然。そんなのも知らないなんて、にわか乙www」
そういう人の文章を読んで、無駄に自分を責めた。
また、好きかつ相応な知識も理由も持っている友人が近くにいたため、理想の自分が具現化したようで、私はますます自己肯定感が低くなり、何をするにしても活力が湧かなかった。
なんと当時は自己肯定感が低かったということにすら気付いていなかった。
そしてまた、好きになったバンドや曲が出てきたら、また調べなきゃ!語れるようにしなきゃ!と追われたけれど、なんだか面倒かつしんどくなってしまい、離れるように音楽を聴かなくなった。
なぜ、苦しいのにその考えをやめなかったのか
数年後の今だからこそ、わからない・苦しいと思っていた要因をこのように言語化できるようになったけれど…
当時はわからないことを認めたくない、わからないのは自分の努力が足りないからだとSOSを無視してなんとか立ち進み続けた。
理想の自分に諦めがつかなかったのだ。
私は、曲だけに興味があったはずなのに、そこに自分の本心が求めない付加価値を追加してしまった。
結果、曲に対して好きな気持ちとともに重い負担を感じてしまった。
余談だが、当時好きだった曲を今聞き返しても、好きという気持ちと、見栄や建前で背伸びした頃の気分的しんどさとが入り混じって、複雑なイメージを抱いたままなのだ。
悲しいことだ、なんという罪なことをしてしまったのだ…。
今思うこと
無理に理由付けして好きになろうとしても、その理由で嫌いになることもある。
このグループ、真面目に頑張っている感じが好き!と思っていたのに、不祥事を起こすと、真面目だと思っていたのに!と怒りや失望にも繋がりかねない。
理由はその時の主観でしかないということ。
知識においても、無いより有る方が楽しみに深みが生まれることだろう。
好きな人同士で語る場などあれば、人間関係も深いものとなろう。
知っていることや覚えていること、努力や費やした時間を考えるとすごいし称賛に値するものだ。
しかし、好きという思いは数値には表れない。
「好きだから→詳しくなる」は、よくある話。
「詳しくなったら→好きになった」も起こり得ること。
だけど、「好き」=「詳しい」ではない。
好きであることに理由があるなら、それでいい。
しかし、別に理由がなくても、それでいい。
そう思ったらそうなのだ。SOS。「S(そう) O(思ったら) S(そう)」
世間の目や、他者評価、理想の自分に、囚われ過ぎていないだろうか?
「詳しいね〜、本当に好きなんだね!素敵だね!かっこいいね!」と言われることが目的になっていないだろうか?
「〇〇に詳しい自分」を無理やりアイデンティティにしようとしていないだろうか?
自分の中に知識増やしたい願望があるなら、それに従えばいい。
別に今は知りたくないなと思ったのなら、それでもいいではないか。
身の丈にあう丁度良さ、心地よさ、自分が好きでいて心穏やかな状態でおれることが、今の私の幸せだ。
今、「ただ好き」という思いを大事にして過ごしているが、なんともまぁ生きやすい。
他人からは薄っぺらい人間だと思われるかもしれないが、自分はこれでいいと思っている。
他人とは縁が切れても、自分とは一生付き合っていかなければならないので、他人のモノサシで測っても苦しいだけ。
自分の心が望まない情報・理由・知識を頭に入れたところで、結局それらは誰に聴かすわけでもない。
強いていうなら聴かす相手は自分なのだから、知りたいなと思ったら深掘りすればいい。
趣味とも適度な距離で、いい付き合いをしていきたいものだ。
ということで、最後に、近頃の音楽ブームの話をする。
音楽やロックに関する知識がなく、にわかな私が、好きな曲をどう表現するか。
FM『Indiscreed30』の「Frozen Heart」
先日知ったばかりの、ブリティッシュ・ハードロック・バンド「FM」。
(↓この時にチラッと触れた)
あれから数日、他の曲も漁った。
聴く曲 聴く曲、かなり自分のツボにくるものばかりだったので…
デデン!買いました!
こちら、1986年のデビュー作『インディスクリート』を現在の編曲で再録音した、デビュー30周年記念のリ・レコーディングアルバムだそう。
ストリーミング再生でなんとなくアルバムの雰囲気を知っての購入だったけれど、その後全部聴いて、買ってよかった、間違っていなかった、と心から思いました。
非常に聴きやすく、明るく優しい曲が多いのがとても嬉しい。
アルバムの二極化現象、
●めちゃめちゃ好きな曲が1、2曲入っているけど、逆に他の曲はあまり聴かないタイプ(数曲鬼リピタイプ)
●大体どれも好み平均点クリア、全部通して聴くタイプ
このどちらかのタイプに分かれる。
で、私にとってこのアルバムは後者でした。
今のところ一番のお気に入り曲。「Frozen Heart」。
↑こちらは1986年? 頃のもの。
(このたび購入したアルバム『Indiscreet30』では、リ・レコーディング版なので、若干違う。)
映像の、時代を感じる長髪ロックバンド感と、楽しそうに歌っている彼らを見ると、思わず笑みがこぼれて幸せな時間を過ごせる。
メロディーインパクトは薄めだから、クセがなくずっと聴いていられて、聴き心地がいい。
【追記】3日経たないうちに、大好きな曲入りを果たしました!
めちゃめちゃ好き。そして、何度でも上記動画の彼らの笑顔を見て、自分も笑顔になる。
自分の感想を述べるに留める、背伸び無し文章。
薄味だけど、これもありだよね。