昨日、「変化のない毎日を、意識的に変えていく」記事を書いた。
端的にいうと、
・今までと違うことを意識的に見つける
・日々何かしら挑戦してみる(どんなことでも。達成した満足感を味わうのが大事!)
という内容。
ここ最近私が試してみたこととして【仕事からの帰り道に植物に着目してみる】を挙げた。
前回は、「見たことのない花を見つけた!」というその場の発見がいい刺激になる、という話に沿っていた。
今回は「昨日の蕾が花開いている!」というような、日々見続けることによる変化について記事にする。
もう少し掘り下げてみる
なぜ植物なんだろう?
道ゆく人やお店、どんな住まいがあるかといった見方も面白いし、悪くないのに、植物を選んだのは何故なのだろう??と若干の疑問を抱いた。
まぁ散歩している犬や野良猫を見かけるとついジッと見てしまうけれども。
自分の無意識な行動だからこそ気になる。
本日はその理由を考えて、もう少し掘り下げた答えを出してみた。
私が植物に着目していた理由は、位置を変えず、成長するから。
位置を変えないから、日々変化を感じられる。
植物は変化が目に見えてわかりやすい
「あ、あの植物。今日は花が咲いている」「今日はちょっと萎れたな」「久しぶりに雨降ったからよかったね(?)」等…
「今日はこう変化していた!」を毎日味わえるのは新たな発見になる。それは楽しく素敵なことだ。
自分自身の日々に変化がないから、植物の成長・変化を応援しているのだろう。
感情移入ではない。
自己投影も全くない訳じゃないけど、ちょっと違う。
この感じは、なんなのだろう?
植物に着目して得られる変化・喜び
・植物の変化に対する純粋な喜び
・植物の変化に気付いた自分に対する喜び
・自分から何かしらの変化を見つけることで、自分の日常が変化していることを認知する喜び
このあたりだろうか。
筋トレでも、変化があるから苦しくても楽しく、続けられるのである。
ぶっちゃけた話、植物を見ずとも筋トレをして、自分の体に変化を起こすのも同じことである。むしろより健康的になるし、姿勢も良くなるし、精神的にも強くなるし、いいことづくめだ。
ちなみに私はしていない…。継続するのが困難で大した成果も上げずに中断してしまった。
とはいえそんな私でも、通勤時間に植物を見ることだけは無意識レベルでできている。
ガッツリ何かするほどでも…という時にはオススメな方法である。
変化は楽しいことだ。
何事も変化するのが当たり前だと思っていたし、諸行無常の世だけれども、自ら変化に目を向けることで知る喜びがこんなにも人生に影響するのだと、改めて思い知った日でした。
あ、めっちゃ植物語っていますが、植物の名前や知識は全くありません。
やえきぬ道中膝栗毛
本日のやえちゃんきぬちゃん
居酒屋で通してもらった席が、ちょっといい雰囲気だったらテンション上がります。
ではまた。