お久しぶりです。
前回(6月)から間が空いて、現在9月半ば。
夜風に乗った虫の音が心地よい今…
この空いた期間を振り返りつつ、今日ブログ更新に至った理由を綴ってみた。
この春を振り返って
最近の記事達を振り返ると…
当時の自分の生活そのものが、なんだか気持ちが高まった感じを受ける。
そんな今年の春の一大イベントが、こちら。
宮島の弥山登山。
山登りと縁がなかった私が、唐突に登った弥山。
そこでもらったエネルギーは本当に元気が湧くもので、これだったら新しい自分になれる気がする!と意気込んだのも束の間…
テンション上がれど、自分の本質は変わらない
気分が上がり、エネルギー高いまま生活をしていたけど、それは本来の自分ではなく…
貰ったエネルギーだから、生成できず、割と早い段階で枯渇してしまった。
扱う素質がなく、受け取るにしては自分の器が小さかったのだと思う。
ダラダラすることに罪悪感を抱く
一旦エネルギーの高揚を味わってしまうと、それが本来の自分な気がして。
でも、本来の自分は、ダラダラしてしまうタイプ。
そのギャップに苦しみながらも、自分の甘さに負けて、ダラダラして過ごした。
「罪悪感…」などと言いながら、やっていることは自分を甘やかすのである。
認めたくはないが、罪悪感を抱くのが趣味なのだろう。
「とりあえず1動こう」の1をするやる気が湧かない
何かしようと思えど、体は動かない。
100を求めず、まずは1やってみたらいい、とわかっているのに、その1すらやる気にならないのだ。
そんな自分が情けない、とまた罪悪感。
「やろうとしている行動が、自分が本当に心から望んでいることじゃないから、体が動かないんだ。」
「いやいや、ずっと何もしなさすぎて、心が、感性が、死んでしまったのかもしれないからこそ、動いてリハビリせねば。」
そんな感じで、脳内で天使と悪魔が主張し合っていた。
体は元気なのにやる気が一切わかず。
職場と家の往復の日々、やることといえば、Youtubeにおすすめされるがまま動画を見るという、超受け身な生活を送っていた。
心霊の、夏。
Youtubeを見続ける生活。まずいなぁと思いながらも、何か動くためになるきっかけ的動画を欲していた。
一日何時間もあれこれ見つつ、何か違う、というか自分は何を探しているんだろう?というときにたまたまオススメ欄に表示された動画があった。
"お笑い芸人・シークエンスはやとも"さんのYoutube動画。
"見える"系芸人ということで、動画では、心霊系の話をされている。
見ていくうちに、刺さるものとなっていった。
シークエンスはやともさんに惹かれる
きっと苦労されているだろうに、それをなんとか自分の糧として、他人に媚びず自分を生きているなぁというのが伝わってくる、なんともいえない心地よさをお持ちの方。
とても言語化がうまく、私自身も脳裏ではふわっと感じなんとなく認知していたことを、見える人の目線で綺麗に言語にしているのが心地よく、見入ってしまった。
同年齢で親近感が湧いたのもあるし、お人柄と、思考、考察に惹かれ、好きな芸能人と言われてもピンと来なかった私が、恐らく初めてグッときた方である。
彼の動画を見ながら、見えない世界の存在を自分の世界観の中で改めて構築・更新し、落とし込めた頃。
ようやく気持ちが整ったのである。
今までは、自己啓発系や暮らし系の動画で気合が入っていたのだが、今回はまさかのこちらから!
全ては繋がっていると思うけれど、ははぁなるほどねぇと驚きと納得。
スピリチュアルは特別なものではない、かも
ちなみに私、心霊・スピリチュアル系は、信じている方。見えないけど。
直感はそこまで悪くはないし、何かしらに見守られているとも感じているので、だからこそきちんと生きないといかんなぁと思っている。
実は今まで、心霊・スピとか、何か特別なもの感が強かったのだけど、実はそうでもないんじゃないかと思うこともできた。
いや、自分の中では重要で大切な考え方なんだけど。
とはいえ、化学科学、数学や言語や歴史やありとあらゆるもの全てと、心霊・スピも同じというか…
ジャンルで分けるその境界すら人間の認知からだと思うし。
我々は生きている為、異様に「生」にフォーカスする。
逆に「死」は特別でよくわからないとして扱う。
でも、生と死、合わせて陰陽の円を成していて、生きていても死んでいてもどちらでも反省し学ぶし何かを感じるし、この世あの世全ての仕組みはなんら変わりないんだろうなと思ったのがこの夏の収穫。
うまく表現できないけど。
ついに季節は秋
ブログを更新しようと思ったタイミング
北向きの我が家、直射日光が入ることはないのだが…
快晴の昼前のみ、向かいのお家の窓に反射した光が入ることがある。
この度久しぶりの反射光を見つけたので、サンキャッチャーを垂らしてみた。
綺麗なプリズムが散らばった。
光と戯れつつ、思いつきでカメラを設置し、撮影したのがこちら。
写真撮影後、わずか数秒で曇り、日の反射向きが変わって、本日のプリズムタイムは終了。
今日はいいものを見せてもらった、と嬉しくなった。
タイミングってあるんだな、と思ったときに、長らく更新できていなかったブログの存在が頭をよぎった。
私なりにいいエネルギーを発していきたいと思った時、ダラダラモードだったのがようやく歩き出せたような感覚になったので、それを記した次第。
たまたまかもしれない。
事だけ見たら、久しぶりにサンキャッチャーで遊べて良かったね〜という話。
だけど、心が整い動く準備ができていたのになかなか動かなかった私に対して、守護霊が尻を叩いてくれたのかもしれないとも感じた。
▼私が以前購入したサンキャッチャー
どういう世界を見るかは、自分次第。
真実は存在しないそうな。
はやともさん経由で月夜見先生の存在も知ったのだけど、月夜見先生曰く、
「有か無か、じゃなくて、あるもの全て"虚"」。
意味はなんとなく理解できるけど、まだまだ落とし込めていない。
この肉体で味わうもの全部、ダラダラに対して感じる罪悪感すらも、楽しんで命をまっとうしていきたいと思ったお彼岸。